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わたしが筒井康隆さんのおっかけになるまで③

調子に乗って続きを書きます。本当はこのサイトで作品の検索ができるようなものを作りたいのですが、そもそもWordpressでできるのかどうかも、まだわかっていません。もしかしたら、ブログを作ることに特化していて、そういうのは難しいのでしょうか。

新聞連載『朝のガスパール』とパソコン通信

社会人になり、あるとき筒井康隆さんが朝日新聞に連載を始めるという記事を目にしました。そこには新聞投書やパソコン通信というものと連動すると書いてあり、「さすが筒井さん、おもしろいこと考える!」と喜んだのですが、そこに自分も参加するということは思いつきもしませんでした。連載が開始され、中でパソコン通信の人たちが筒井さんとやり取りする様子を、ただただまぶしく眺めていました。
それが『朝のガスパール』です。文庫本しか買わない派から単行本を少し買うようになり、このときようやく”連載を読む”という経験をしたわけです。

筒井康隆:電子書籍または『筒井康隆コレクションVII朝のガスパール』

断筆、断筆祭、筒井ワールド、震災

「朝のガスパール」のあとしばらくして、筒井さんは断筆してしまいました。当時は情報を入手するルートもなかったので、手に入る範囲で目にする記事を読み、理解しようとしていたと思います。「断筆祭」というものが中野サンプラザで行われることも何かで知りましたが、まだ”参加する側”になるという考えはありませんでした。

この本は現在少し入手困難かもしれません。

1994年の後半、情報雑誌にBIG FACEの「筒井ワールド」という告知を見つけました。そしてそこに、著者サイン会という文字があったんです。これは生の筒井さんを見るチャンス!!さっそくチケットを購入しました。どの本にサインしてもらおうか悩んだりして、ワクワクドキドキの日々でした。ところが翌年の1月17日、テレビにとんでもない光景が映っていました。神戸にとてつもない大地震が起きたと言っています。阪神淡路大震災でした。筒井さんに関するニュースがないか、辛い記事であふれる新聞を読みました。
実は「筒井ワールド」は1月20日から、サイン会は1月22日と、震災からあまり日にちのない状態でした。思い切ってイベントの問い合わせ先に電話をしました。「あの、筒井康隆さんのサイン会は…」「ありますよ!」という明るい声が返ってきて、ああご無事で、サイン会にもいらっしゃるんだと非常に安堵したのを覚えています。

ナマの筒井康隆さん

当日、まだ数少なかった単行本の中から『パプリカ』を持って「筒井ワールド」の会場に向かいました。

「筒井ワールド」は全10回行われれましたが、そのときが第1回でした。サイン会には既に列ができていて、そこに並ぶと、チラチラと列の先でサインをしている筒井さんの姿が目に入ります。これはもう心臓バクバクです。あー、本当にホンモノのナマの筒井康隆さんだ。筒井さんは丁寧にサインをされている様子で、列はゆっくりと進みます。見ていると、けっこう言葉を交わしている人もいるみたい。どうしようどうしよう何を言おう。
いよいよ自分の番になり、『パプリカ』を差し出しながら、「あの、地震、心配しました」と言っていました。チラッと本から目を上げた筒井さんは「ASAHIネットにはすぐに”無事”が出たんだよ」と。テンパってる私が「はい」しか言えずにいると、続けて「あなたも入りなさい」とおっしゃいました。そのあと私がすぐに入会したのは言うまでもありません。そちら側に飛び込む背中を押してくれたのが筒井さんご自身だったのは幸せなことです。

221情報局

ASAHIネットで『朝のガスパール』の後を受けてできていたファンクラブ「221情報局」(221=ツツイ)という会議室に参加し、たくさんのファンの方たちと筒井さんの話ができるのは本当に楽しいことでした。それにもちろん筒井さんご自身も参加していらっしゃいます。自分が書いたものを筒井さんが読み、時には返信してくれるというのは、それまで想像もしてなかったすごい世界でした。もう興奮の日々です。
そして、自分が最初に書いたような「変わり者」ではなく、ごくフツーの人間だとすぐ気づきます。それほどみなさん個性豊かでした。ついでに「読書家」でもないし、筒井さんに関する知識はないに等しいこともわかり、単なる筒井さん好きのミーハーファンとして楽にいられたのもよかったと思います。
いま思えば、あのタイミングでなければ、サイン会で震災の話をせず、筒井さんにASAHIネットに入るようにも言われず、したがって入会することを思いつかないまま、孤独な熱烈ファンを続けていたはずです。まったく違う人生だっただろうな…。そのくらい大きな転機となった瞬間でした。
ちなみに、その「筒井ワールド」のサイン会は、被災した筒井さんが非常に苦労して東京までたどり着いていたことは、あとから知ります。どこかに書かれていたと思いますが、どこだったかなあ。

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